6189ニカラグアの危機:野党から称賛された、ウンベルト・オルテガ元軍長官のメッセージ(191213)

 1979年にアナスタシオ・ソモサを倒したサンディニスモを、かつて共に率いた人々は今日、ニカラグアをいかに統治するか、根本的に意見を異にしている。

 元軍の長官でダニエル・オルテガ大統領の弟であるウンベルト・オルテガは、2018年4月以来ニカラグアが経験してきた何百人もの死者と何十万人もの避難者を避けるため、具体的な措置を大統領に要求する強いメッセージを再び出そうとしている。

 11日水曜日に地元の新聞ラ・プレンサに発表された手紙の中で、引退した将軍は大統領に「この政治危機の囚人」を釈放するよう求め、「自由選挙」の開催を提案した。

 ニカラグア政府はこれについてコメントしなかったが、オルテガ大統領は弟との意見の相違を隠さずに昨年、「(彼は)帝国主義の歩兵」だと非難した。

 手紙の中でウンベルト・オルテガは、この紛争の中で投獄された人々の釈放のために、「賢明、堅実、公正な措置」を講じるよう大統領に求めている。

「政府は、この政治危機により囚人となった人々が自由になるよう合法的な手段を執るよう訴えたい。」

 大統領の弟は、「この公正な決定は、暴力、破壊と正反対の市民闘争と選挙を実現し、既存権力に対抗し、経済の回復を目指すものである。」と、その提案の正当性を主張した。

「いま、オルテガ大統領には投獄された人々を釈放することによって、人間的に行動する好機である。」と彼は兄に呼びかけた。

「したがって、自由選挙が行われれば、誰が勝利しようと「国家的合意」に導くのは困難ではない。」と付言した。

BBCMundoはウンベルトオルテガに会見を申し入れたが、その協力者はインタビューに応えずに、「彼の当面の目標は政治囚の釈放である。 」とした。

 ニカラグアは1年半以上にわたって社会的および政治的危機の下にあり、12年間政権を維持しているオルテガの辞任を要求しているが、人権団体によると300~650人の死者を出している。

 人権に関する国連と米州の委員会は、政府が抗議者と反対者に対して拷問と超法規的処刑によって、深刻に虐待していると非難している。

 これに対して、ダニエル・オルテガは告発を否定、それが彼に対する「クーデター」の試みであると主張している。

 ニカラグアの反対派は、何十年も前にダニエル・オルテガの右腕であると決めつけた元長官のメッセージを好意的に評価した。

 企業家で、野党組織「アリアンサ・シヴィカ(市民同盟)」のマリオ・アラナは、このメッセージは「国内で歴史的役割を果たした人物」の「貴重な貢献」であると述べた。

 さらに、「オルテガ大統領は彼の話を聞くのがいいと思う。」とラ・プレンサ紙に語った。

「ウンベルトは(ダニエル)オルテガに橋を提供している。ここに降りるための橋がある。」と元サンディニスタのドラ・マリア・テジェスは同じメディアに語った。

 しかし、その要求は「根拠がない」として、与党はメッセージを無視した。

「オルテガは、市役所、サンディニスタの家、放送局に火をつけた170人ものテロリストを解放した。ニカラグアにはもはや政治犯は一人もいない。」元サンディニスタのゲリラ、エデン・パストラは言う。

BBCMundoとのインタビューの中で、「コマンダンテ・セロ」として知られているこの人物は、オルテガの手紙に「驚いた」ことを認めた。「この馬鹿馬鹿しい言いぐさは、正しく経済的な強者の理屈だ。」

 彼の意見では、ニカラグアの刑務所にいるのは、普通の犯罪者だけで、「ウンベルトと反サンディニスタが大統領に5,000人から7,000人の犯罪者を釈放しろというなら、我々はそんなに釈放できない。」

 一方、ニカラグアの政治囚家族協会は、現在の危機の状況で投獄されたままの囚人は少なくとも168人であるとしている。

 ウンベルト・オルテガは、ニカラグアのソモサ・ファミリーの軍事政権との戦いを主導したサンディニスタ革命の「9人の指揮官」の一人であった。

 1979年の勝利の後、1995年にサンディニス人民軍を設立、その初代司令官に就任、1979年から1990年にかけて国防大臣を務めた。

 彼の兄ダニエルは、サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)の司令官であり、当初は特に目立たなかったが、ウンベルトの推薦で、政府委員会のコーディネーターに就任した。

「ウンベルトは、ダニエルの発言の少なさ、カリスマ性のなさゆえ、権力を欲したり、権力を奪うことができないと言って売り込んだ。」 2016年、小説家セルヒオ・ラミレスはBBC Mundoにこのように話した。ラミレスは、1984年から1990年までオルテガ政権の副大統領だった。

 ダニエルが大統領に就任し、ウンベルトが陸軍を率いて、当初の権力は拡大し始めたが、1990年、サンディニスタが権力は失った。

 その後、党内の分裂もあり、2人の兄弟の不一致も生じたが、ウンベルトがヴィオレタ・バリオス・デ・チャモロの政府で軍隊を率いることになった時に確執は増大した。

 ダニエル・オルテガは2007年に権力を取り戻したが、兄弟間の疎外は、サンディニスタ内の確執と同様に、すでに克服できないものとなった。。

 今日の兄弟の関係悪化は、公の場のみではない。昨年7月、ウンベルトは、現在の危機について兄が率いる政府を非難し、早期選挙を求め、民兵組織の活動を終了させた。

「我々が経験している状況に責任あるのは、ニカラグア国家だ。」ウンベルトは、スペイン語でのCNNインタビューで語った。

 これに対して、ダニエル・オルテガは「帝国主義の歩兵に成り下がった。」と非難し、弟に厳しく応えた。

(BBC Mundo2019/12/13:Crisis en Nicaragua: el mensaje del exjefe del Ejército a su hermano, el presidente Daniel Ortega, que fue elogiado por la oposición)

ラテンアメリカから見た世界と日本

2004年9月から2012年2月までの約7年半の期間、「ラテンアメリカから見ると」のタイトルでブログを維持していましたが、力を入れすぎて目が痛くなり、撤退しました(通巻6175号)。  スペイン語の勉強を再開したこともあって、ブログも再開しました。

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